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四十代なかば仕事が一段落したのを機に日本美術に改めて興味を抱きました。「一人になりゆったりしたい」と旅行代理店を訪れて「天空伽藍、高野山宿坊の旅」を予約。都会の喧騒からはなれ、清々しい元旦の朝を迎えました。おつとめを済ませたあとの食事は新鮮な野菜中心の爽やかな味わいでした。それ以来、寺院や仏教美術への興味が深まり、日本全国の国宝を有する寺社仏閣を巡る旅に出るようになりました。九州から奥州市まで国宝を保有している寺院や美術館、博物館(国宝展などで絶対秘仏を見る機会がありました)はすべてまわりました。
国宝の仏像や建造物のデータですべて保有していますが、寺院から購入した写真や「国宝の写真集」をスキャンしたので公開は憚れます。そこで各神社仏閣および市町村の観光案内のHPにリンクさせてもらうということで皆さんにお見せしたいと思います。
大和小泉駅で降りて最初に見えてくるのが法起寺です。奈良時代創建の由緒ある寺だそうですが、現在は三重塔が創建当初の建造物として残っています。田舎道という感じの細道で畑の中を歩いて行くと三重塔が見えてきて「斑鳩の玄関に入ったぞ」という感じです。ある年の秋に訪問したとき法起寺の門前の農家野菜販売所で袋に5~6個入った柿を見つけ食べたくなり寺の人に「あの柿を食べたいから1~2個分けてもらえないかな」と聞いてみたら手を横にフリフリ「この辺の柿はやめておいたほうがいい、美味しくない」え、奈良のおいしい柿と奈良県があんなに宣伝しているのに?
ここには聖天堂があります。聖天堂の本尊は「歓喜天」うふふふ。
ここの十一面観音像は重文だそうだが記憶にない。拝観料がばかにならないので三重塔を外から眺めるだけということが多いのです。
こちらには古い仏像が2体、ともに飛鳥時代の鞍作止利仏師の作と伝えられているそうです。確かに表情が法隆寺金堂の釈迦三尊像や薬師如来に似ています。また、飛鳥時代の作風としては法隆寺大宝蔵殿の6菩薩像?、金龍寺の菩薩立像も似た表情をしています。
あと印象的な仏像は平安時代作の十一面観音立像です、何が印象的かというとその顔。エキゾチックというかギョロ目、インド風なのでしょうか十一面観音像が大勢並んでいたとしたらすぐわかりますよ。
三重塔は第二次大戦中に落雷によって消失。寺の住職や作家の幸田文さん他大勢の方々の努力で再建されました。
大和小泉駅から法起寺、法輪寺と歩いてくると次に現れるのは中宮寺です。池の上にお堂を建てたという意匠で拝観者は池をわたっているような感覚になり階段を上り靴を脱いで菩薩半跏像に会いに行きます。像全体が黒光りがしていて、ツイン団子のような髪型、このサイズの像にしては大きめな円形の後背。でも何といっても魅力的なのはその若々しい優しさ溢れる、アルカイックスマイルで「なにもかもみとうしてるよ」というような表情です。寺伝では如意輪観音像だそうですが学者たちに諭されて伝如意輪観音にしたのでしょう。どうみても弥勒菩薩半跏思惟像ですよね。そういえば広隆寺のも含めて弥勒菩薩半跏像思惟像と言わなくなりましたね。
高校の修学旅行のときこの像にめぐり逢い感動して立ち去り難く「もう、バスが出るから」と迎えに来るまで動かなかってのをおぼえています。修学旅行のとき同じ思いを抱いたのはここと平等院鳳凰堂と龍安寺石庭でした。
天寿国繍帳はレプリカがおいてあります。以前から「テンジュ/コクシュウチョウ」と読み慣れていました。でも「天寿国 繍帳」だったのですね。いまではそのように読み上げられることを嫌ってか天寿国曼荼羅繍帳と呼んでいるようです。
今から30年程前法輪寺から中宮寺に入るときなぜか裏口?から入れて、仏像を見て帰り受付に人がいかったものですから、悪気はなかったのですがそのまま出てしまいました。ごめんなさい。でももう時効ですよね。
本来ならばJR法隆寺駅に着いてタウンバスで南大門前に向かうのですが、今回は中宮寺から入ってきたので東院伽藍から拝観します。皆さんまっすぐ回廊の中へ入ってしまいますがお待ち下さい。国宝の転造物を通り過ぎましたよ。そうです鐘楼ですね。西院伽藍の鐘楼も国宝ですがこちらのも国宝ですよ。あまりにあっさり立っているので見逃してしまいます。回廊の中に入ると目に入ってくるのが当然夢殿。八角のお堂です。古来から日本人は八角堂を好むようで私が知っているだけでもこちらの西円堂、興福寺の北円堂、南円堂、広隆寺の桂宮院、栄山寺の八角円堂(奈良から来るまで行きましたが結構時間がかかりました)などがあります。
中には超有名な救世観音像、聖徳太子の姿をうつして彫られたと言われています。宝珠を手に持って、光背は中宮寺の菩薩半跏像と同じくらい大きいですが円形ではなく卵型です。顔は少し下膨れのような(失礼)感じで確かに人と同じような上背です。年2回春秋の観光シーズンに開扉されます。
他に国宝の仏像としては行信僧都と道詮律師の坐像が安置されています。行信僧都が夢殿を建立し(一説では聖徳太子鎮魂のため、ということは魂を封じ込めるためか)道詮律師は行信僧都さんの弟子で夢殿を修繕した人だそうです。
建物は国宝の伝法堂、その手前に絵殿>舎利殿。伝法堂は国宝ですが、私は重文でしか無いですが絵殿>舎利殿のほうが趣があり好きです。伝法堂の中には多くの仏像がいるので拝観したいのですがいまだ機会がなく。絵殿>舎利殿は正月公開なので何回か中に入らせてもらいました。
東院を出て西院に向かう途中に国宝のM字八脚の東大門があります。どこがM字かと横からよく見ると屋根が二棟を接着したように中央部が凹んでるのでした。
Googleアースで作った空撮動画
斑鳩散歩
法隆寺西院伽藍
法隆寺東院伽藍
法起寺から法輪寺へ
私の場合はウォーキングが趣味ですから法隆寺駅から法隆寺南大門前まではタウンバスに乗らずに徒歩で向かいます。法隆寺にはもう何度拝観に訪れたことか(多分20回以上)分かりませんが南大門越しに西院伽藍伽藍が見えてくると「今年も法隆寺に来れた、いえ、奈良の空気をすえているんだ」と浮き浮きしてきます。南大門から西院伽藍が見えるように写真を撮り中へ入っていきます。
中門が見えてきました。法隆寺の寺内は国宝の建造物や仏像で溢れていますが何故か中門の金剛力士立像は重要文化財でしかありません。でも仏像の顔をみていると納得。特に吽形の方は顔が犬の化身かという表情で体の作り(塑像だから彫りと言えない)も躍動感がありません。私は何かの資料(中門前の説明札?)で室町時代に修理を受けて劣化したと理解していましたが今回ウラを取るため法隆寺HPを確認したところ 和銅年間の制作で修理は昭和だそうです。
ここで入場の切符を買って中に入ってはいけません。出札所を通りすぎると西室。東室と対を成していて奥行きがあり修行僧の僧坊であったのではないかと拝察されます。ここの南端を改造したのが三経院。テレビで見ましたが夏安居のとき国宝の室内に入り高僧のお教解釈を聞けるというのは羨ましいことです。私はお教は聞いてもわかりません。ただ国宝の転造物の中に入り古の人々の息吹を感じながらボケっとしたいなとつくづく思います。
さてここから西円堂に行く前に門が好きな人はそのまま西へ歩くと西大門があります。再建された門で文化財的価値が低いと判断されたのか寺のHP境内図にも乗っていません。鬼っ子ですか?
西室を右手に見て階段を登っていくと西円堂が建っています。中には峯の薬師と呼ばれる薬師如来像が丈六の威容で座しています。日本最古最大の脱活乾漆像と記憶しています。この仏像を見るなら隙間からなんてことをしなくても元旦には戸を開けてくれていますよ。寺務所の人が正午の鐘を突きに行く時がチャンス?ん、何をするのかな?そしてここから金堂、五重塔が違ったアングルで写真に撮れるのでここでパシャ。大講堂や上御堂も見ることが出来ます。
さて、私が法隆寺に参拝始めた頃は拝観料が1,000円でした。文化財が多いしなぁと納得。それから暫くして訪ねたら1,500円になっていて、他の企業なんかは5%だ7%だと恐る恐る値上げしていたのにさすが法隆寺は大胆と思っていたら、今は2,000円だそうです。外国人は払えるかもしれないけれど貧乏な日本人は払えなくなっていますよね。
ま、とにかく中へ、中門はかの梅原猛さんの説を本にした「隠された十字架」を読んでから目を向ければ興味深く見ることが出来ると思います。法隆寺は聖徳太子一族を鎮魂するのではなく封じ込める寺なんでしょうか。そういえば夢殿は聖徳太子本人の魂を封じ込めるお堂だそうです。
ここの中は目に入るものすべて国宝です。中門を背に左手から回廊、経蔵、大講堂、鐘楼。私は回廊は柱がエンタシスといってなんて説明はしません。私がお寺さんまわりをして得た私の感想や見聞きしたことを中心に書いていきます。
それでは金堂の中に入っていきます。中は以前は暗くて懐中電灯が無ければ何も見えなかったので備え付けの懐中電灯を照らしたものです。当時私は拝観3点セットとしてペンライト(お寺の人にはペンライトを照らしていいですかと了解を得てスイッチを入れますがペンライトの形はしていますが大変照度が高く明るくうつしだします)オペラグラス、デジカメ(今は必要ありません)を携行していました。
話がそれてしまいました、内陣の外側には四天王像が四方角を固めています。現存する日本最古の四天王像、飛鳥時代の止利仏師様の表情でユーモラスな邪鬼を踏み従えています。私はトオジ、ナンゾウ、セイコウ、ホクタととなえて覚えました。広目天と多聞天は一目瞭然なのですが持国天と増長天の違いがよくわかりません。
中央に座しているのは釈迦三尊像、鞍作止利仏師の作と言われています。聖徳太子の病気平癒を願って彫られた「尺寸王身」の釈迦であり聖徳太子でもある仏像です。と言うことは聖徳太子の寸法は座ればこの仏像、立てば夢殿の救世観音像ということになるのかな?左右に薬王、薬上の両菩薩を従えていますが、私は釈迦三尊でこの両菩薩を脇侍にしているのはこの三尊像のほかには思い当たりません。 その右手にいるのが薬師如来像、作風は釈迦三尊像に似ています。この頃の仏像の顔は細くて少し長めではないでしょうか。釈迦三尊像の左は阿弥陀三尊像ですがこれだけは後補なので法隆寺の仏像では珍しく重文です。それらの奥には毘沙門天、吉祥天のご夫婦が立っています。仏教っていろいろな人の解釈で法華経とか勝鬘経とか多くの教えが存在します。私は「仏に男女即ち性はない」と何かの本で読んだのですが、だったら何故この仏は結婚できたのかな、オマケに鞍馬寺の毘沙門天と吉祥天は子供までもうけてます。さあ、金堂をでましょう
さて、大講堂には平安時代の薬師三尊像が座っています。時の流れで金箔が剥げている部分がありますが基本的にはいい顔をしていると思います。大講堂の前にカメラを持って待ってみてください、風が吹いてきたらチャンス。長い暖簾のような「几帳」がめくれあがり中の仏像の写真をとれるかもしれませんよ。
伽藍をでました。左手には東室聖霊院があります。そこで、法隆寺そして仏像ファンには耳寄りなはなしをします。毎年3月22日は聖徳太子の命日にあたりますから「お会式」がありその日だけは、国宝の聖徳太子像その他の仏像を安置してある聖霊院の厨子が開かれます。しかしながら大変な人出で周りの人に邪魔されて仏像はよく見ることが出来ません。そこで当日は避けて前夜祭に参列するのです。私は友人と前夜祭当日の閉門前に法隆寺に入り軽く伽藍内を見て回り前夜祭の儀式が始まるのを待ちました。かなりの時間が経過したと思います。私は辛抱がない方でしたから友人に「もう帰ろうか」と問うと「せっかく来たんだから」の返答に励まされて待ち続けるうち、南都楽所のみなさんで厳かな演奏が始まり、心は高揚してきます。演奏も終わり僧侶の方が「どうぞおまいりください」なんと聖徳太子やその他の太子縁者の仏像の真ん前で拝むことができたのです。待った甲斐がありました。
聖霊院を出て南へ向かい歩いていくと綱封蔵、食堂と国宝の建物が続きます。綱封蔵は高床式になっているので湿気から蔵入宝物をまもるのだろうと思い説明札を読むと盗賊が入りにくくするために高床式にしたと書いています。なるほど。
大宝蔵院に入っていきます。他の寺では宝物館とか霊宝殿とか呼ばれている宝物展示スペースです。夢違観音、地蔵菩薩(あまたある地蔵菩薩の中で唯一国宝に指定されています)中学時代教科書で見た玉虫厨子、百済観音堂なんていう別部屋に入れてもらっている海外でモテモテの百済観音像、藤原不比等の奥さんの念持仏、厨子入阿弥陀三尊像。もうお宝の山で息が詰まりそうです。ここで私のマニアックな解説をさせて下さい。大宝蔵院入り口を入ってすぐ左側に金銅製の九面観音像が女性を感じさせる品のいい面立ちで立っています。私はこの仏像が好きで一時推していました。唐からの渡来仏だそうですが大陸の作風を私はあまり感じませんでした。もう一点は夢違観音をはさんで反対側に立っている六観音像です法輪寺の項でも書きましたが、いかにも飛鳥という感じの面長の素朴な仏像達です。六つ子みたいな同じ顔をしていて、ただ持ち物だけが違っている。金龍寺の菩薩と七つ子ですね。
という訳で法隆寺のことを書いているときりがないので今日はこのへんで、つぎへ向かいましょう。
「ぽっくりでら」として有名ですね。法隆寺の帰りに一度だけ寄った事があります。住職が「お参りしたらぽっくりいくのではなく、信心深くお参りを続けたら長生き出来て往生のとき苦しまなくてさっとイケるのです」と話していました。その他は本堂で念仏を皆で唱えるのでしょうか十数席分の座布団とその前に木魚を打てるように用意されていました。
本尊は阿弥陀如来像で結構大きく立派な仏像である。ということを覚えています。
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